後閑信一、京王閣記念3連覇〜地元の大黒柱が刻んだ偉業〜
2026.10.16
どうも!てんのうです!
明日からナイターで京王閣記念が開催されます。

この京王閣記念を語る上で外せない人物の話をしていきたいと思います。
競輪において、記念競輪を優勝することは決して簡単ではない。
全国から集まる強豪を相手に4日間を勝ち抜くには、脚力だけでなく、展開を読む力や勝負どころでの判断力が求められる。
その難しい偉業を3年連続で成し遂げたのがここ京王閣競輪場をホームとする後閑信一。

2009年から2011年まで京王閣記念を3連覇。地元の期待を背負い、3年連続で頂点に立った。
その強さは、単なる地元バンクとの相性だけでは語れない。
レースの流れを読み、状況が変わっても勝利への道筋を見つけ出す対応力こそ、後閑の大きな魅力だった。

2009年、3連覇への第一歩
2009年6月9日、京王閣記念決勝。
後閑は6番車で決勝に臨み、渡邉晴智、海老根恵太ら実力者がそろう一戦を制した。
結果は後閑が1着、渡邉が2着、海老根が3着。
後閑は上がり11秒5でゴールを駆け抜け、地元記念のタイトルを手にした。
この優勝が、3連覇の始まりとなった。
地元記念は、普段以上に期待と重圧がかかる舞台。
地元ファンの声援を受ける一方、他地区の選手たちも簡単には勝たせてくれない。
そうした中で決勝を勝ち切ったことは、後閑の実力と勝負強さを示す結果だった。
そして翌年、後閑は再び京王閣記念の頂点を目指すことになる。
2010年、想定外の展開からつかんだ連覇
2010年の決勝では、後閑の勝負強さがさらに際立つレースが生まれた。
平原康多が前を任され、後閑が番手を回る形。しかし、赤板から平原が上昇すると、柴崎淳が踏み込み、さらに新田祐大も内から前へ動く。
激しい位置取りの攻防の中で、後閑は池田良と競り合い、平原の番手を奪われてしまう。
番手から差し切るという理想的な展開は崩れた。
それでも後閑は諦めなかった。
後方から自らまくりに転じ、最終4コーナーで前団に迫ると、そのまま勝ち切った。
ラインの後ろで脚をためるだけではなく、状況が変われば自ら勝負に出る。
こうした判断力と対応力こそ、後閑の強さだった。
地元記念連覇を懸けた一戦で、想定外の展開を自分の力で乗り越えたことは、強く印象に残る内容だった。
2011年、3連覇達成へ
迎えた2011年の62周年記念。後閑には、地元記念3連覇という大きな目標があった。
前年までの優勝者として警戒される立場であり、ライバルたちも簡単には勝たせてくれない。
それでも後閑はシリーズを勝ち上がり、決勝の舞台へと進んだ。
3年連続で記念競輪を制するには、脚力だけでなく、開催を通じた安定感と精神力が必要になる。
前年の成功に頼ることなく、その時々の展開に対応し、最後に勝ち切らなければならないからだ。
後閑は、その難しさを乗り越えて3連覇を達成した。
京王閣の歴史に刻まれた後閑信一
後閑信一の京王閣記念3連覇は、地元記念で勝ち続けることの難しさと、その偉大さを示す記録だ。

2009年に最初の優勝を飾り、2010年には番手を失う展開から自力で勝ち切り、2011年には3連覇を達成。
3年間の歩みには、状況に応じて戦い方を変えられる対応力と、最後まで勝利を諦めない姿勢が表れている。
競輪は、脚力だけで勝敗が決まる競技ではない。位置取り、ラインの連係、仕掛けのタイミング、そして想定外の展開に対応する判断力。
そのすべてが結果を左右する。
地元の期待を背負い、展開が崩れても自ら勝ちにいく。
後閑信一が京王閣記念3連覇で示したのは、長年第一線で戦う選手ならではの勝負強さだった。
この偉業は、京王閣の歴史に刻まれた輝かしい記録として、これからも語り継がれていくだろう。

