2026.10.08

てんのうです!

今週から弥彦競輪場で寛仁親王牌が行われます!

てか、明日からじゃん!

そんな寛仁親王牌という舞台
過去のレース振り返ってみたいと思います。

【忘れてはいけない名勝負がそこにある】

 

2016年、前橋競輪場で行われた寛仁親王牌。

39歳の稲垣裕之(86期・京都)が、12度目のG1決勝でついに悲願のタイトルを手にした。

それは、単なる「G1初優勝」という一言では表せられない勝利だった。

 

稲垣が初めてG1決勝に進んだのは2004年の西武園オールスター。そこから12年。

 

G2優勝からも9年。

 

長い長い時間をかけて、何度も頂点へ挑み続けてきた。

 

しかし、あと一歩が届かなかった。

 

2010年には骨盤骨折という大きなアクシデントも経験。それでも復帰し、再びG1決勝の舞台へ戻ってきた。

 

2011年の競輪祭では、3学年上の村上義弘が近畿4車の先頭を務め、稲垣は番手という大役を任された。

 

村上が先行勝負に出たものの、別線のまくりを阻めず、チャンスを生かせなかった。

 

翌2012年の寛仁親王牌でも、稲垣は決勝へ進出。

 

川村晃司-稲垣-村上博幸という京都勢で連係し、川村の積極策から稲垣が番手まくり。

 

しかし、京都勢の後ろにいた佐藤友和の強襲に屈した。

 

期待されればされるほど、タイトルは遠かった。

 

2014年の名古屋ダービーでは、今度は稲垣自身が近畿4車の先頭で先行。

 

自らが勝つための走りではなく、村上義弘のG1優勝をアシストする走りだった。

 

そして2015年。

岸和田の高松宮記念杯。

脇本雄太-稲垣-村上義弘。

 

当時26歳だった脇本が風を切り、稲垣は番手から勝負に出る。

 

平原康多のまくりに合わせて番手まくり。

 

誰もが「今度こそ」と思った瞬間だった。

 

しかし、最後に稲垣をかわしたのは武田豊樹。

 

わずか1車身。

またしても準優勝だった。

 

そして2016年。

久留米の全日本選抜決勝では、新田祐大をブロックした際に落車し、失格。

 

その悔しさを抱えたまま、8月の松戸オールスターへ向かった。

 

ここでは村上義弘が稲垣の前で魂の先行勝負。

 

今度こそ…。

そう思わせる展開だった。

 

しかし、稲垣の後ろにいた岩津裕介に差し切られ、またしても準優勝。

 

G1決勝12回。

 

何度挑んでも、タイトルだけが手元に届かない。

 

「やっぱり獲れないのか」

 

そんな空気すら漂い始めていた。

 

だが、稲垣は諦めなかった。

 

そして迎えた寛仁親王牌。

準決勝では、脇本雄太-稲垣-村上義弘-三谷将太の近畿4車。

 

脇本が先行する。

別線を完封する強烈な先行。

 

稲垣は車間を空けながら後続を確認し、最後は差し切った。

 

1着・稲垣。

2着・脇本。

3着・村上。

 

近畿勢が上位を独占した。

 

そして決勝。

 

近畿から5人が勝ち上がった。

 

脇本-稲垣-村上。

そして古性優作-南修二。

 

近畿勢は二つに分かれての勝負となった。

 

脇本が先行する。

稲垣は番手。

ここまで、何度も経験してきた形だった。

 

違ったのは、最後にそのチャンスを自分の手でつかみ取ったこと。

 

稲垣が番手まくりを放つ。

後方からは平原康多が迫る。

 

4コーナーでは、平原が内を突いて村上をはじきながら稲垣へ迫ってくる。

 

それでも稲垣は止まらなかった。

最後まで踏み切る。

平原の猛追を振り切る。

 

そして…。

ゴール。

稲垣裕之、G1初優勝。

12度目のG1決勝。

39歳。

初めてG1決勝に進出してから12年。

何度も悔しさを味わい、何度も敗れ、それでも挑み続けた男が、ついに頂点へたどり着いた。

 

この優勝が特別だったのは、稲垣一人の悲願だったからではない。

近畿勢にとっても、長く待ち望んだタイトルだった。

村上義弘、脇本雄太、そして稲垣。

 

近畿の選手たちは、互いに前を走り、後ろを守り、時には自分が勝つことを犠牲にして仲間をタイトルへ押し上げてきた。

 

2014年の名古屋ダービーでは、稲垣が先頭で駆けて村上をG1優勝へ導いた。

 

そして2016年。

今度は脇本が先行し、稲垣がその番手から頂点へ。

 

近畿の結束が、長年タイトルに届かなかった稲垣を最後に押し上げた。

 

競輪は、個人競技でありながら、決して一人だけでは戦えない。

 

誰かが風を受け、誰かが番手を守り、誰かが最後に差す。

そのすべてがつながった先に、G1タイトルがある。

 

稲垣裕之の優勝は、まさにその競輪の魅力を凝縮したような一戦だった。

 

2004年のG1初優出から12年。

2010年の骨盤骨折。

何度ものG1決勝。

準優勝。

落車、失格。

 

そして、39歳でつかんだ悲願。

 

だからこそ、2016年の寛仁親王牌は今も多くのファンの記憶に残っている。

 

長く挑み続ければ、いつか報われる。

そんな単純な言葉だけでは片付けられない。

それでも、諦めずに走り続けた先にしか見えない景色がある。

稲垣裕之が12度目のG1決勝で見た景色。

 

それは、近畿の仲間たちとともにつかんだ、39歳のG1初優勝だった。

 

寛仁親王牌という舞台。

 

今年はどんなドラマが起こるのか今から楽しみだ。