16年の時を越えて〜市田佳寿浩から息子・龍生都へ〜
2026.10.07
てんのうです!
今週から弥彦競輪場で寛仁親王牌が行われます!

そんな寛仁親王牌という舞台
過去のレース振り返ってみたいと思います。
【忘れてはいけない名勝負がそこにある】
寛仁親王牌には、数々の名勝負とともに、選手たちの「悲願」が刻まれている。
2010年の前橋大会で、その悲願を成し遂げたのが市田佳寿浩(76期・福井)。

今の競輪ファンには息子の市田龍生都のお父さんというほうがピンとくるかもしれない。

そんな市田佳寿浩は当時34歳。
すでに競輪界ではベテランの域に入りつつあった市田にとって、G1タイトルは長年追い続けてきた夢だった。
2009年8月、大垣で行われた全日本選抜競輪では、山崎芳仁の優勝にわずか2分の1車身届かず準優勝。

あと一歩。
あと少し。
何度もG1の頂点に手を伸ばしながら、そのタイトルだけが届かなかった。
そして迎えた2010年の寛仁親王牌。
市田にとって、これが9回目のG1決勝だった。
9度目。
決して少なくない。
むしろ、これだけ決勝に乗りながらタイトルを獲れない苦しさは、本人にしか分からないものだっただろう。
それでも市田は、近畿の仲間たちとともに決勝へ駒を進めた。
準決勝では、村上義弘の番手を守るという大きな仕事が待っていた。
井上昌己が飛び付いてくる厳しい展開。
それでも市田は譲らない。
村上の後ろを死守し、最後は決勝進出を決めた。
そして決勝。
近畿勢の布陣は、脇本雄太-村上義弘-市田佳寿浩。

当時の近畿を象徴するような3車ラインだった。
脇本が先行する。
村上がその番手から仕掛ける。
そして、その後ろには市田。
自らが勝つためだけではなく、ラインとしてどう戦うか。
近畿勢が積み重ねてきた結束力が、決勝の舞台で見事に形となった。
最後の直線。
村上が前へ踏み込む。
その後ろから市田が伸びる。
ゴール寸前…。
市田が差し切った。

悲願のG1初優勝。
34歳、市田佳寿浩。
9回目のG1決勝で、ついに頂点へたどり着いた。
しかも、その勝利は近畿勢の結束によって生まれたものだった。

脇本が先行し、村上が番手から仕掛け、最後に市田が差す。
一人の力だけではなく、ライン全体でつかみ取ったG1タイトル。
だからこそ、この優勝は近畿勢にとっても特別な意味を持っていた。

そして市田は、この優勝によって自身唯一となるKEIRINグランプリの切符も手にした。
振り返れば、前年の大垣で山崎に敗れた悔しさがあった。
あと2分の1車身。
その悔しさを胸に、翌年の寛仁親王牌でついに頂点へ。
競輪という競技では、一度の敗戦がすぐに次の勝利へつながるとは限らない。
だからこそ、長い時間をかけて挑み続けた市田のG1初優勝には、大きな価値がある。

そして…。
あれから16年。
今年の寛仁親王牌には、新たな市田の名前が刻まれる。
息子・龍生都が、寛仁親王牌に初出場する。
父がこの舞台で悲願を達成してから16年。
今度は息子が、同じ舞台に立つ。
もちろん、父と息子では時代も戦い方も違う。
市田佳寿浩が走った2010年と、現在の競輪では、競走形態も選手を取り巻く環境も大きく変わった。
それでも、競輪という競技で受け継がれていくものがある。
父が背中で見せたもの。
勝つことの難しさ。
ラインを大切にすること。
そして、何度敗れても頂点を諦めないこと。
それらは、きっと息子にも何らかの形で受け継がれているはずだ。
さらに近年の寛仁親王牌を振り返れば、近畿勢の強さは際立っている。
昨年までの10大会で近畿勢は6度の優勝。
脇本雄太、古性優作、稲垣裕之ら、時代を代表する選手たちがこの舞台で結果を残してきた。
そして今年。
近畿勢の一員として、初めてこの大舞台に挑む龍生都。
父・市田佳寿浩が16年前に刻んだ歴史を、息子がどのようにつないでいくのか。
もちろん、いきなり父と同じ結果を求めるのは酷だろう。
だが、寛仁親王牌という舞台に立つ以上、夢を見ることはできる。
父が34歳で9度目のG1決勝を制したように、競輪では何が起こるか分からない。
16年前、近畿の結束が市田を頂点へ押し上げた。
そして今度は、その血を受け継ぐ龍生都が、同じ舞台で新たな一歩を踏み出す。
父から息子へ。
16年の時を越えてつながる寛仁親王牌。
今年の近畿勢の戦いを語るうえで、龍生都の存在はぜひとも注目しておきたい。
父がつかんだ悲願を、息子はどんな形で受け継いでいくのか。
寛仁親王牌には、今年もまた新しい物語が生まれる。
寛仁親王牌という舞台。
今年はどんなドラマが起こるのか今から楽しみだ。
